電動アシスト自転車で巡る紀伊半島一周の旅 3月24日 日前神宮から海南市へ

  自転車にまたがろうとするが、なかなか足が上がらない。なんとか乗車して和歌山駅近くにあるはずの日前(ひのくま)神宮を目指す。線路を越えるとき車道は地下をくぐって行くが、自転車は迂回を余儀なくされる。精神的、肉体的ダメージが蓄積する。和歌山県立向陽中学、高校の前に出る。学校のグランドの先に自然林らしきものが見えるので、それに沿って走る。日前(ひのくま)神宮の鎮守の森らしいが、なかなか神宮入り口が見えてこない。地図アプリで確認すると神宮入り口の裏側を走っているようだ。反転して神宮入り口を目指す。

日前(ひのくま)神宮の白い鳥居。白は新道において神聖な色であり、出雲大社も白い鳥居である。この鳥居には神額がない。日前(ひのくま)神宮と記してきたが、境内の中には、日前(ひのくま)神宮と国懸(くにかかす)神宮が並んであるため、あえて神額がないのだろうか。

赤ちゃんをつれたご夫婦がきていた。初宮参りだろうか。写真は手水鉢。水を貯めずに竹から水が流れ出ている形だ。写真を見直して気づいたが、口をゆすいでしまった。特に支障は無いので神様のご加護があったのだろう。

社務所。平日のせいか参拝客は、ほとんどいない。

神域での禁止事項。写真撮影、飲んだり食べたり、大声や拡声器の使用。

写真撮影ができないのはつらいので、社務所の近くで作業をしている神職の方に伺ったところ、神宮の社殿は撮影禁止だが、一切だめというわけではないそうだ。

神域に、おそらくスダジイ等の陰樹の高木林であり、これ以上、植生が変化しない安定した状態(極相/クライマックス)になっているのだろう。長い年月、伐採や植林などされず、守られてきた証拠だ。司馬遼太郎の「街道をゆく 紀ノ川流域」にこの神宮の森について「この境域が好きで、和歌山市にくるたびにここにきているのである。」と書かれている。

同書には、境内の森には神々の宮居が八十余りあると記されている。なるほど小さなお宮があちこちにある。写真は天道根命(あまのみちねのみこと)のお宮で初代紀伊国造(くにのみやっこ)である。『紀伊国造系図』によれば、天道根命は天照大神の天岩戸隠れに際して石凝姥命(いしこりどめのみこと)によって鋳造された日像鏡、日矛の2種の神宝を高天原の神々から託されたとある。また、古語拾遺では、石凝姥命が鋳造した日像鏡(ひがたのかがみ)、日矛(ひほこ)には、少し不満があり、次に作られた八咫鏡が美しく伊勢神宮のご神体となった。そして、日像鏡(ひがたのかがみ)は日前(ひのくま)神宮のご神体に、日矛(ひほこ)の鏡は国懸(くにかかす)神宮のご神体となり、いずれも伊勢神宮と同様祭神は天照大神である。

松平頼雄(まつだいら よりかつ)命のお宮。松平頼雄は、1668年に生まれ、伊予国西条藩の世嗣となったが、実父により無実の罪によって廃嫡された。その後、従弟である徳川吉宗により紀伊国に移され、1718年現田辺市で死去。1806年、和歌山城内に松平頼雄を祀る邦安社が建立された。幕末に日前宮へ遷座し、末社邦安神社となっている。

野槌神(のづちのかみ)のお宮。鹿屋野比売神(かやのひめ)とも呼ばれる。伊邪那岐命 (いざなぎ)・伊邪那美命(いざなみ)の間に生まれた草の神様である。 

蛭子神のお宮(市戎神社)。伊邪那岐命 (いざなぎ)・伊邪那美命(いざなみ)の間に生まれた最初の神様。不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。

市戎神社ののぼりがたくさんある。市戎の名の由来は、この社の近くで「市」が立ち非常に賑わったところからきており、市のえべっさん、市えびすと呼ばれるようになったそうだ。商売繁盛の神様らしい。小さな神社はまだまだたくさんあるが、こんへんで。

神社の森の途切れるあたりには、クマザサが生えており、椿もある。

一方、日の当たらないところでは、イヌシダらしきシダ類の植生も確認できた。

由緒正しい神社にお参りをして、無性に腹が減ってきた。海南市に向かう県道13号のドラッグストアコスモス神前店があったので、パンとドデカミンを買う。店舗の横の地面に座り込み食べて飲んだらへたり込んでしまった。しばらくそのまま座り込んでいたら、高齢男性が近くに自転車を駐めて一瞥して店内へ。このままでは、まずいと思い出発。

道路は片側一車線で、だんだん郊外に進んでゆく。途中、竈山神社(かまやまじんじゃ)があった。

神武天皇の長兄である彦五瀬命(ひこいつせのみこと)の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝えられる竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)があるらしい。彦五瀬命は東征の際に浪速国で長髄彦の放った矢に当たり、負傷。一行は東に進軍するのをあきらめ南に回り込んだが、その際に、この地で亡くなったそうだ。疲れがピークに達しつつあるので外からお詣りして先を急ぐ。

道は県道137号線に入る。のどかな景色になってきた。

いつの間にか、海南市に入っていた。紀州漆器の町「黒江」の町並みに入る。

紀州漆器伝統産業会館 うるわし館で休憩。根来寺を中心にはじまった根来塗については、司馬遼太郎の「街道をゆく 紀ノ川流域」に詳しく記されている。うるわし館では、漆器の展示・販売の他、蒔絵体験ができるらしい。

海南駅を目指していたら、偶然本日の宿、ビジネスホテル・カンヌ海南を発見。17時チェックイン。以下がこの記事の道程。

自転車については、最初の対応してくれた人が判断できなかったようだが、後から来た人がフロントの脇に置くことを認めてくれた。18時半までぐったりしてから、OOKUWAに買い出しに行き、エビピラフ、握り寿司、爽生というプライベートブランドの発泡酒等購入。この宿は、お風呂とトイレ共同であり、風呂に行く階段が違うので迷う。風呂の浴槽は広くてなかなか湯が貯まらないので、シャワーで済ます。この宿の良い点は無料のランドリーがあることだ。洗濯終了後靴下片方がないのに気づく。浴室に落ちていた。明日洗おう。まずは、酒と飯だ。


宿泊費:4,500円

食費等:約1,300円

和歌山城入館料:410円

 

3月24日の総移動距離:74.5km


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