電動アシスト自転車で巡る紀伊半島一周の旅 3月24日 泉大津から孝子峠を越え和歌山市へ

  3時半ごろまた目が覚める。なかなか寝むれない。諦めて起きることにした。ラ・ムーで買った30円のバケットと100円のホットドッグパンの朝食をとる。安くてもうまいものは美味い。

5時半を過ぎるとだんだん慌ただしくなってきた。客室からぞろぞろと人が出てくる。学生もたくさん乗っている。岸和田港が近づいている。

6時予定通り着岸。乗船する時は後回しだったが、下船時は比較的早めに出られた。花市場公園から泉大津大橋を渡る。フェリー「いずみ」よ、行って参ります。

朝の泉大津。港の倉庫には上屋の文字。税関の管理下にあるのか?

渡りきった後も公園の中を走る。どういうわけかシーパスパークと思われる場所に出る。大きい道に出ようとするが、住宅街の中で迷う。府道26号にようやく出ることができた。和歌山39km、関西空港9km。意外と近い。

自転車が少しだけいる。歩道の交通量は朝早いせいか多くない。岸和田の灰色の工場地帯を抜け、関西空港が近くなると、町並みも変わってくる。りんくうタウンだそうだ。高層ビルや商業施設も増えてきて、一気に洗練された感じになる。正面にそそり立つのは、スターゲイトホテル関西エアポート。54階建ての高層ビルだ。

りんくうタウンのおしゃれな通りの先にそそり立つ建造物。

田尻スカイブリッジ。橋長572mの橋も自転車が走りやすいように車道と分けて配慮されている。ここまで、自転車が走りにくいところはなかった。さすが大阪、チャリの街である。

海上に見えるのは関西国際空港。

阪南市まで来るとずいぶんのんびりした感じになる。狭い歩道でも自転車通行可なのが嬉しい。

住吉山雷藏寺。真佛宗のお寺とのことである。真佛宗は1975年にチベット密教法王蓮生活佛「盧勝彦密行尊者」によって創立された比較的新しい仏教宗派のようである。外から拝ませていただき先を急ぐ。

岬町に入る。道の駅みさき 夢灯台でひと休み。

道の駅から見た岬町と海。

側面から見た道の駅。確かに灯台のようになっている。

車道にも青い矢羽根マークがあり、自転車の走行をサポートしてくれている。

「史跡石山合戦古戦場 灰賦峠」の看板。石山合戦とは、織田信長と浄土真宗の総本山「石山本願寺」との10年にわたる合戦のことである。宗主「顕如」は、全国の一向宗門徒に織田信長打倒を呼びかけ、各地で籠城戦やゲリラ戦を展開した。1580年(天正8年)宗主である顕如が講和の誓紙に調印し、本拠地の石山本願寺を退去し紀伊国に移って2年後、織田信長は突如、信長の三男「織田信孝」を総大将として紀伊国へ軍勢を派遣した。

本願寺方の金乗寺の「了性」(りょうしょう)は、顕如が逃げるための時間を稼ぐべく、灰賦峠で織田軍を食い止めることを画策。村人達に竃の灰を持ち寄らせ、その灰をまき散らして目潰しをするという作戦で一度は織田軍を退けた。しかし、翌日織田軍は布を被るなどの対策をし、再び進軍。もはやこれまでかと思ったところ、突如織田軍が撤退。なんとこの時、織田軍には本能寺の変の知らせが届いていたのである。

以上が石山合戦の最終戦となった灰賦峠の戦いの概略である。

道はだんだん登り勾配がきつくなる。いよいよ和歌山県への山越である。

途中、平安時代の三筆の一人橘逸勢の墓の表示。行ってみると南海本線の線路の向こうにデカデカと「橘逸勢と孝女あやめの墓」の看板。

三筆とは書に秀でた空海、嵯峨天皇、橘逸勢の3人を指す。ちなみに空海と橘逸勢は、同じ遣唐使船に乗って唐に渡っている。帰国後、橘逸勢は、朝廷に仕えていたが、謀反の罪を着せられ伊豆に流されることになるが、護送中に客死。後を追っていた娘のあやめがその地で父の亡骸を葬り、尼となって供養していた。橘逸勢が許されてから、遺骨はあやめにより、この地に移されたとのことである。

看板の後ろの墓。橘逸勢の墓と思っていたが孝女あやめの墓だった。

橘逸勢の墓は、南海本線の線路をはさんで反対側にあるようだが見落としてしまった。

いよいよ坂が急になる。休憩をはさんでジワジワ登る。峠の名は孝子峠(標高100m)、孝女あやめにちなんでいるのだろうか。ここを越えると和歌山県 和歌山市だ。時刻は11時を過ぎたぐらい。

 この記事の道程。



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