猿喰新田潮抜き穴跡 北九州市門司区
2023年8月2日(水曜日)
新門司のフェリーターミナルから門司港方面に向かって行くと、猿喰(さるはみ)という地区がある。ずいぶん変わった名前だが、かつて猿を殺して祟りがあったので祠を建てて、これを鎮めたのが由来らしい。一方で岐阜県の猿喰城の資料では、「猿」は当て字で、狭い・崩れさる・すべりやすいといった地形で「ばみ」には、浸食されやすいといった意味があるとのことである。筆者の想像だが、古代ここは、「波に浸食されて崩れやすい狭い場所」という意味だったのが猿殺しの話にすり替わっていったのではあるまいか。ちなみに新門司から門司駅方面に行く県道71号線には鹿喰トンネルがあるが「しかはみ」ではなく「かじき」と読む。
猿喰海岸に駐車して、歩いて猿喰新田潮抜き穴跡へ。暑いというより熱い。海岸はよく整備されているが、フェンスがあって海には近づけない。
豊前海一粒かき焼き食い処があるが、夏場は営業していない。
焼き食い処の下を通り、猿喰大橋の下をくぐると池が見えてくる。
池には、水鳥がよく集まっているが、この日はアオサギ一羽のみしか目撃できなかった。
市指定史跡の看板がある。猿喰新田開作は1757年から1759年に大里村の庄屋であった石原宗祐が私財を投じて行った干拓事業で、堤防を築き新田を作るわけだが、堤防の内側には塩分が残っており、このままでは、うまく作物が育たない。そこで考え出されたのが塩抜き穴である。塩抜き穴は、海と干拓地の間にトンネルを掘り、その間に仕切り戸がつけられていた。仕切り戸は、満潮の時は海からの水圧で閉まり、干潮の時は干拓地側の水で開き排水していたようである。これを繰り返すことにより、干拓地側の塩分が洗い流され作物が育つようになった。
今は、草の中に二つの塩抜き穴が残っているが、かつては四つあったとのことである。
今は新しい水門に引き継がれているが、飢饉に苦しむ農民を救うため開作された猿喰新田は夏の日差しの中、青々としている。
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