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福岡県直方市 多賀神社の桃まつり

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  直方市の多賀神社で 3 月1日から4月14日まで桃まつりが開催されているので見に行った。 多賀神社は直方駅からほど近い場所にある。御祭神は、伊邪那岐大神(男神)伊邪那美大神(女神)の二柱の神であり、国生み神話の主人公の夫婦神である。境内には、最初に生まれた不具の子で、葦舟に乗せて流された蛭子社があるのも興味深い。 717年頃に寿命社多賀大明神を祭ったとの記録があるので、かなり古い由緒のある神社と考えられる。その後、妙見神社と呼ばれたりして、1693年に多賀神社となったようである。 神社の下の駐車場の桃。西校区花壇らしい。 多賀神社へ。 神社の駐車場にも桃。  花桃は品種が多い。真っ赤な花もある。キクモモだろうか。 白い花をつけるものもある。   手水舎前の桃の花 境内の小さな池。 江戸時代の俳人、有井浮風と諸九尼の句碑。二人は当時、死罪であった不義密通の上、大阪、京へ駆け落ちしている。 つれもありいまはの空にほととぎす 浮風 行く春や海を見ている鴉の子    諸九 側には 釈迢空 の歌碑。本名は民俗学者、国文学者として有名な折口信夫である。折口信夫は大阪で生まれ慶応大学教授等を歴任し、東京で亡くなっているので、直方市を訪問した際に詠まれた歌である。 多賀の宮みこしすぎゆくおひかぜにわれはかしこまる神わたり給ふ 本殿へ。 拝殿の両側には雛人形とさげもんが飾られている。 多賀神社の桃の花のピークは、3月20日(水)の桃の花招福稲荷祭りの頃のようだ。  また、4月中旬には、餅と桃菓子がまかれる擲桃祭が行われるそうである。 なぜ桃菓子をまく擲桃祭があるのか。御祭神である伊邪那岐命が黄泉の国に行ってしまった伊邪那美命に会いに行くが、伊邪那美命は姿を見ないように約束させる。それでも変わり果てた姿を見てしまった伊邪那岐命に伊邪那美命は激怒し、黄泉の軍団を差し向け追わせる。黄泉の国と現世との間にある黄泉比良坂まで逃げ延びた伊邪那岐命が、そこに生えている桃の実を投げつけると追っ手は退散したという話に由来するらしい。  

第二十五回酒折連歌賞 一般部門 優秀賞受賞 酒折連歌とは

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  昨年12月に、山梨学院大学酒折連歌賞事務局から応募した片歌の確認書をいただき、返信しておいたので、なんらかの賞をいただけるだろうと思っていたが、まさかの優秀賞だった。    封筒にはクリアファイルと立派なメモ帳も同封されていた。 通常、連歌と言えば五・七・五の 17 文字の長句(上句)と七・七の 14 文字の短句(下句)を交互に連ねて詠む合作文芸のことを指し、当初は二人で贈答するものだった。例えば、 「佐保河の水をせきあげて植ゑし田を」尼 作 「刈れる早飯(わさいひ)はひとりなるべし」大友家持 作 時代が降り鎌倉時代になると複数人で行われる長連歌が主流となり、五・七・五(発句)に、七・七(付句)、さらに五・七・五(脇句)を続けてゆき、最後の七・七(挙句)で終わる。ちなみに挙句の果ては連歌から来ている言葉である。長連歌で有名なのは明智光秀が本能寺の変の前に参加した「愛宕百韻」ではないだろうが、一部を以下に紹介する。 ときは今天が下しる五月哉     明智光秀 水上まさる庭の夏山        行祐 花落つる池の流れをせきとめて   紹巴 風に霞を吹き送るくれ       宥源 春も猶鐘のひびきや冴えぬらん   昌叱 かたしく袖は有明の霜       心前 ちなみに NHK 短歌では、連歌という言葉は、出さないものの「言葉のバトン」という連歌のようなコーナーを設けている。   ところが、酒折連歌の起源は、さらに古く神話時代に遡り、形や用語も連歌とは異なる。起源となったのは以下のとおりである。 新治 ( にひばり ) 筑波 ( つくは ) を過ぎて幾夜 ( いくよ ) か寝つる 日本武尊 かがなべて 夜には九夜 ( ここのよ ) 日には十日を      かがり火を焚く老人 この問答は、酒折宮で行われたと古事記に記されている。この時の音数は四・七・七 と五・七・ 七 だが、酒折連歌の音数は、共に 五・七・ 七 が基本であり、 問いの片歌 と答えの片歌で構成される。 第二十五回酒折連歌賞では、以下の問いの片歌に対する答えの返歌を応募するようになっていた。 一  真っ直ぐな朝の日差しに大根を干す  二  巣ごもりがどうやら終わり春が近づく 三  ユトリロの(白の時代)...

福岡県築上町 綱敷天満宮の梅まつり

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  3月9日土曜日、綱敷天満宮で行われている「しいだ梅祭り」が3月10日までとのことなので、見に行った。 綱敷天満宮は、当ブログの「電動アシスト自転車で巡る四国八十八箇所 11 月 23 日 バスでも厳しい横峰寺」で今治市の綱敷天満神社について紹介したが、京都から福岡市まで綱敷のつく神社等9社のうちの一つである。福岡県には他に福岡市博多区綱場町にも綱敷天満宮がある。いずれも菅原道真公が大宰権帥に左遷されて赴任の途中、綱を巻いた上で休まれたことに由来するが、行く先々で綱の上に座られたのは、当時の風習だったのだろうか。 境内の入り口にはお祭りらしく、露天が並ぶ。写真には写り込んでいないが梅ヶ枝餅を売っている店もあった。 創建が955年の由緒ある神社である。ご祭神は菅原道真公、学問の神様であり合格祈願にも人気が高い。   紅梅が美しい。全部で千本ほどの梅の木があるそうだ。 紅白のしだれ梅。  樹齢370有余大蘇鉄。こちらも立派だ。 本殿の裏には赤い鳥居の列。お稲荷様が祀られている。   「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」飛び梅伝説にもなった道真公の歌である。綱敷天満宮のある浜に道真公が漂着した際も「沖津風吹きこす風に生いそめて色添ふ松は幾代経らむ」と詠んだとされている。 梅まつりは、終わっても見た限りでは、もう少し梅の花を楽しむことができそうである。

電動アシスト自転車で巡る四国八十八箇所11月27日 札所とばして高松市

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5時半に目が覚める。朝食を食べたりして準備をはじめる。今日は昨日より寒くないようだ。ホテルの窓からの風景。善通寺の街が動き始めている。 今日はレインスーツのズボンをはかず 7 時出発。善通寺グランドホテルは寿殿という結婚式場も備えている立派なホテルなのに、安く泊まらせていただき感謝である。 今日の第一目標は、昨日お参りした曼荼羅寺の先にある出釈迦寺である。曼荼羅寺を通りすぎてダラダラとした坂を登る。 駐車場に自転車を置き歩く。大師像のある坂道を登る。 第 73 番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺 奥の院、捨身ヶ嶽禅定の説明。 7 歳の弘法大師が仏門に入り人々の救済を願い断崖絶壁から身を投げた。すると釈迦如来とともに天女が現れ、大師を抱きとめて救ったとのこと。 捨身ヶ嶽遙拝所。出釈迦寺から 50 分の山道なので、ここで拝む。 本堂。秘仏公開中らしい。 大師堂。 手水舎は、ミニ菊花展のようだ。 展望台休憩所。善通寺市が一望できる。  ご本尊は、釈迦如来。真言は、のうまく さんまんだ ぼだなん ばく 魂の成長、悟りを開くためのご利益があるとのこと。 山を降りて甲山寺へ、川沿いの道を進むと建設会社の大型トラックの出入り口。その先に甲山寺の広い駐車場が見えてくる。 第 74 番札所 医王山 多宝院 甲山寺 本堂。 大師堂。 毘沙門天の岩窟。 甲山寺のウサギ。本尊の脇仏である月光菩薩が持っている月から飛び出してきたとのこと。 紅葉は今がピークだ。  ご本尊は、薬師如来。真言は、おん ころころ せんだり まとうぎ そわか 病気治癒(特に目病)、健康長寿、災難除去、安産祈願、現世利益。 市街地を通って善通寺へ。 だだっ広い料金所がある駐車場。駐車場の脇には休憩所と善通寺物産会館。ここからしてただ事ではない広さだ。お寺へは済世橋を渡って入る。 第 75 番札所 五岳山 誕生院 善通寺 山門とパゴダ供養塔。供養塔はビルマ(現ミャンマー)で太平洋戦争と独立戦争で戦死した人の霊を祀っている。 境内を歩くキジバト。ヤマバトとも呼ばれ近年、住宅地でも見られるようになったが、ドバトと違い警戒心が強いとされている。しかし、近づいても逃げようとしないのは大師様の徳のおかげだろうか。 光明殿。永代供養施設である。...